Ti-da - kotoba.ti-da.net - 心に効く言葉
General Information:
Latest News:
自分の人生に参戦せよ 18 Sep 2009 | 04:58 pm
「不安」とは、実は“そこ”から逃げ出したい自分がいる状態のことを言う。不安の恐怖は、そこに「どうすべきか?」という提案があっても、行動を鈍らせ、実行不能な自分のままに陥れることだ。何故逃げ出したいのか?それは責任を自分で負うことができないと思うから。だから「不安をなくす」という行為とは、「もう逃げられませんよ、責任があることですから覚悟してくださいね」という言葉を真に受け入れることかもしれません。...
心は疲れない 8 Sep 2009 | 05:24 am
(c) S.M.A|写真素材 PIXTA心は、癒された後、どうなってしまうのだろう?頭を空っぽにしてリラックスしてみることはとても大切なことだけれど、根本の題解決にはならないし、残念ながら、心は体と同じように癒された後に元気になることはありません。何故なら、本来心は疲れないからです。”心が疲れている”と感じることはよくある気がするけれど、それは”落ち込む”、すなわち、心の元気が失われて、自分の管理...
全力を尽くせば少しは前にいく 1 Sep 2009 | 09:03 am
(c) nobu|写真素材 PIXTA自分の哲学を持つということ。ソクラテスやプラトンからデカルト、ゲーテ、ニーチェにサルトル、フーコー、レヴィストロースなど哲学は宗教のようで宗教でない、現実的のようで非現実的、心理学なのか精神分析学なのかよくその分野の意味がよくわからなかったりします。偉い学者さんが高尚な人間の考え方をあれこれ理屈をつけてもっともらしく言っている…という印象もあったりします。でも...
”余裕“とは求める必要がないこと 24 Aug 2009 | 08:06 pm
もしかしたら“余裕”というものは、欲しいと思うものを目の前にしながら、「いらない。」と言えてしまうような心の持ち方のことかもしれない。いつも何かを欲して追い求めていると、それは大抵は手に入らなかったりする。逆に追いかけるのをやめると、向こうからそろりそろりとやってくる。探し物は探していないときによく見つかるように、僕達の求めているものは、求めなくても良い状態になったときにやってくるようだ。多分、何...
自信とは“素直”であること 17 Aug 2009 | 01:46 pm
自分に自信を失くしてしまうとき、それは身体と頭脳、そして心のリズムが崩れてしまっているときだという。カラスが自分に向かって鳴き、黒猫が行く道を横切り、くつ紐が切れ、雨までが降り出してくると、人の心は簡単にバランスを崩してしまう。心のバランスが崩れると、頭脳は悪い想像をはじめる。悪い想像は身体能力を著しく低下させ、その結果やることなすこと全てが不満に満ちたものになっていく。逆に、人が自信を付けるとき...
“答え”は思い出される 10 Aug 2009 | 10:44 am
問題を抱えてそれを解決しようとしたとき、ひとはその答えを“探して見つけ出す”ことに躍起となる。そして、求める答えがどこにも見つからないことに失望する。まるでチルチルとミチルのように、青い鳥を探して色々な世界へ旅をしているかのようだ。僕たちは本当はわかっている、幸福の青い鳥はどこでもない“ここ”にしか存在しないことを。答えは”ここ”にあるのに、あえてどこかに旅をするという手段を使ってしか、理解するこ...
伝える言葉には、理解を含んではいない 26 Jul 2009 | 07:40 pm
「気が合う」。 ひとつのコーヒーカップについてさえ幾千もの言葉で語り合える仲の良いカップルが結婚し、歳を重ねる毎にお互いに新しい発見をしては会話を重ね、ときにケンカをし、ときに新たな秘密を持ち、いつかは分かり合えることを望みながら一緒に暮らしていく。そして、最終的に行き着く理解とは、「沈黙」であるらしい。なんとなく、仲の良いお年寄りのカップルや、古い友人同士は、会話を必要としていない感じがする。も...
怖いときには、前に出ろ 20 Jul 2009 | 10:44 am
(c) GOETHE|写真素材 PIXTA 健全な心の状態を保っていると言える条件とは、「自分について考え」、「待つ忍耐力をつけ」、「自分の秘密を持ち」、「色々な見方ができる」ことらしい。自分を客観的に見ることができるということは、冷静さを失っていないということで、待つ忍耐力があるというのは、物事に優先順位をつけて順番に何かを成し遂げられることで、自分の秘密を持つということは魅力的で大切な自...
幸せの言葉はあるが、幸せに言葉はない 11 Jul 2009 | 07:13 pm
不幸や不遇にはたくさんの理由や言葉が存在する。でも、幸せにははっきりとした理由も言葉も存在しない。何故なら、幸せは「在る」ものではなく“感じる”ものだから。不幸も同じように感じるものなのだけれども、「~だから」という具体的な物事をくっつけて理論的に自分から説明付けてしまいやすい。もしかしたら、「幸せ」というもの自体が存在していないのかもしれない。「幸」を字解すると、その形象は「手かせ(手錠)」から...
人生は“らせん階段” 6 Jul 2009 | 09:14 pm
僕は自分のやり方を疑った。疑った瞬間から、今までうまくいっていたことが全てひっくり返ってぎこちない物事に変わっていった。普通に挨拶をして、普通に仕事をして、普通にごはんを食べて、普通に酒を呑む…。まるでケーキを箸で食べているような、出来ないことはないがしっくりこない毎日になる。かつての自分は真理に会っていた。成るがままに、成すがままに、あるべきものがあるように、自分の行うこと全てが川の流れをすべる...